広島・長崎に千羽鶴を

広島・長崎に千羽鶴を



宗岳寺では例年、広島・長崎に千羽鶴を贈る運動をしております。

1945(昭和20)年8月に投下された原子爆弾は、一瞬のうちに街を焼き尽くし、広島で14万人以上、長崎でも7万人以上とも言われる犠牲者を出しました。
そして今もなお、原爆症と呼ばれる放射線障害や白血病、ガンなどの後遺症で苦しみつつ生き長らえている人もいます。
これほどの惨状にもかかわらず核保有国はいまだに存在し、人類にとっての核の脅威はいまだ消え去っていません。
原爆投下により犠牲になった、あるいは先の大戦で犠牲になった多くのご先祖や先輩、仲間のみなさんの霊の安らぎと、世界各地で核戦争が再び起きる
ことのないことを祈って、千羽鶴を折り、広島市・長崎市に贈りませんか。

7月25日までに、当寺まで郵送もしくはご持参ください。色や大きさなどは問いません。また、「千羽鶴」といっても、お一人で千羽折っていただかなくても、
一羽だけでも結構です。余裕があれば折り鶴にメッセージなどを書いてください。
また、あらかじめ糸などでつないでいただけると助かります。

    宛先・・・      〒860-0847 熊本市上林町3−45 宗岳寺 行

みなさんから集まった千羽鶴は、平和を願うメッセージを添えて、「宗岳寺檀信徒一同」の名で、広島市と長崎市に寄贈します。

                                         宗岳寺 住職 合掌





広島市の平和記念公園には「原爆の子の像」があり、全国各地から毎年数千万もの祈りの千羽鶴が奉納されています。この「原爆の子の像」は、回復を祈ってベッドで
千羽鶴を折り続けた佐々木禎子さん(1943-1955)という少女をモデルにしています。



佐々木 禎子(ささき さだこ、1943年1月7日 - 1955年10月25日)  広島市に住んでいた原爆の被害者で、広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルともなっている。
また、シアトルの平和公園にも銅像がある。2004年7月25日、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に遺影が登録された。
1945年8月6日、2歳のときに広島市に投下された原子爆弾によって、爆心地から1.7kmの自宅で被爆した。同時に被爆した母親は体の不調を訴えたが、禎子は不調を訴えることなく元気に成長した。
1954年8月の検査では異常なかった。しかし、11月頃よりシコリができはじめ、1955年1月にシコリがお多福風邪のようになり、病院で調べるが原因が分からず、2月に大きい病院で調べた所、白血病であることが判明、
長くても1年の命と言われ入院した。
1955年8月に名古屋の高校生からお見舞いとして折り鶴が送られ、折り始める。禎子だけではなく多くの入院患者が折り始めた。病院では折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じてツルを折りつづけた。
結局、病は回復することなく、満12歳でこの世を去った。死後、禎子が折った鶴は葬儀の時に2,3羽ずつ参列者に遺品として配られた。 禎子が生前折った折り鶴の数は、1300羽以上とも、1500羽以上とも言われる。



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